何をもって良い人とみるか、悪い人と見るか。TPOで評価は違うし、立場や利害関係者によっても善悪に差が生まれる。今判断するか、1週間後に改めて考えるか、10年後の未来で歴史的見地から総括するかでも結論は異なってくるだろう。
半面教師という言葉もある。自分に嫌なことをしてくる人だが、ああはなりたくないと思わせることで、結果として同じ轍を踏まない真っ当な人間になれた、といえなくもない。一方で甘やかしてばかりの過保護は自立心が育たず、他力本願の依存癖が板に付いてしまう。イメージしやすく天使と悪魔に置き換えてみた。
親切な悪魔とは
相手の成長機会を奪って将来的に無能な人間に仕立て上げたいなら、ミスを指摘せず、自堕落になるように甘やかし、考えない楽さを味あわせて思考停止させると良い。口当たりの良い言葉ばかりを与えて、今のままで自分は正しくてこれ以上成長する必要もないと思わせる。
不自由なものは与えられて当然と思わせ、その通りに不自由なく与える。困ったことを全て他人のせいにさせて、盲目的な自己肯定感を植え付ける。自覚がない無能は、ただの無能より始末に負えない。自分が悪魔に準ずる行動をしている自覚がない悪魔がいるのにも納得がいく。将来の身を滅ぼすことしかしていない親切な悪魔。
冷酷な天使とは
相手に福を与えたければ、災いを与えれば良い。災い転じて福となさせてあげるのが冷酷な天使。自ら反面教師となるもよし。一時的に恨まれて当然。誤解は一生解けないかもしれない。ただ単に福を与えては依存し堕落する。親のすねかじりに対しては冷酷な天使になること。
依存はするのもさせるのも悪魔の所業であり、天使はそんなことしない。中には天使らしく親切で優しく暖かく包み込む、天使のような天使も当然いる。困ったときの神頼みが通じるとわかると、困っていない時も神頼みする輩が必ず一定数現れる。居心地の良い包容力で弱い心を24時間いつでも例外なく受け入れてくれるとわかると、弱い心ゆえに依存して堕落する人が必ず現れる。
冷酷と親切のあいだ
苦痛を与えられたから冷酷、良い気分にさせてくれたから親切、そんな感情や本能に従った判断が誤解を引き起こす。しかし勿論、人のためになる優しさもあるし、何の足しにもならない独りよがりで無駄な厳しさもある。相手のためになるかどうかという視点から考えれば判別できる。
また、冷酷でも親切でもない中間の接し方もある。二人にとって全然関係ない領域の話やビジネスライクな話で、感情が入り込む余地がない。こういう与太話にも間を持たせて気まずさを紛らわす効能がある。無駄話が嫌いな人にとってはうざいが、それ以外のデメリットは特にない。
親切な悪魔の有害さに比べたら、こういう毒にも薬にもならない、冷酷と親切の間にいる存在のほうがずっとマシだし、極端ではない多くの人はこの近くに集っている。そしてそんな人たちは優しくて良い気にさせてくれる天使が好きだし、冷たい人でなしのような悪魔から距離を置くのもいつものことだ。