ネット生活が長いと、漢字を読めるけど書けない、みたいな情けない癖がついてくる。社会人にはメールとワードのスキルが求められ、文章を手書きする機会といえば反省文を提出する時くらいしかない。
ひどい人だと、信じられないかもしれないが「反省」が書けない。「反」はいいとして、そういえば「せい」ってどんな字だっけ? とおもむろにスマホに指を滑らせて「はんせい」を漢字変換して答えを得る。まるでスマホが人間に文字を書かせているかのよう。もっと難しい字に至っては変換してもフォント表示が小さすぎて細かい部位が最後まで分からず仕舞いだ。
そんな漢字音痴のことはおいておいて、今なお現存する難解な二字熟語の多くに古代中国をルーツとする故事成語がみてとれる。字面を拡大して確認して、意味を理解して、声に出して読みたいから読んで、鉛筆で紙に書いてもなお、ピンと来づらく頭に入ってこない二字熟語を紹介しよう。
濫觴(らんしょう)
まだ「濫」は何となく分かる。でも「觴」は読み方が多分「しょう」っぽいような気がするだけで、意味に至っては想像もつかない。他に「らんしょう」と読む熟語もないし、連想ゲーム的にあてずっぽうで使っては痛い目を見ることになる。
盃(さかづき=觴)に溢れる(=濫)と書き、大きな河の揚子江も源流に遡れば杯から溢れる程度のわずかな水量にすぎないことの喩え。「起源」「始まり」の意味をもつ。同義語の「嚆矢(こうし)」と合わせて「嚆矢濫觴」と四字熟語化することもあるが、難解さは変わらずだ。
壟断(ろうだん)
「壟」で「ろう」と読みそうだとは思うが、そこまでだ。意味など皆目。土の上に龍がいたら強そうだ。その龍を一刀両断しようとするのだから、必殺技にも匹敵する強い技を繰り出そうというのか。というか、いっそ「一刀両断」に近い意味でもいいじゃないか。
利益を独占するの意味。一人の男が高い丘に登って市場全体を見てから最もよく売れる商品を探して、市場の利益を独占したことから。「壟」は小高い丘。なるほど、龍が如く高みから市場を席巻したくなる漢字だ。
木鐸(ぼくたく)
「鐸」って何ですかね。旧字体っぽさは伝わってくるが。部首が「かねへん」だから金属に関係していそう、だがその手前に「木」が付いていて、段々よく分からなくなってくる。
世論を喚起して世の人々を導く人。鐸とは大きな鈴。文学や教養の発令は木鐸を鳴らし、軍事の発令は金鐸を用いたことから。一般的には学者や評論家、記者などを指す。現代のネット上ではさらにアルファツイッタラー、自分のようなアルファブロガー、キュレートメディアもこれに該当するだろう。
知音(ちいん)
音を知るだけで、周りの情景を思い浮かべ知ることができる。足音には個性が現れるから、誰の足音かを聞き分けられたりする。さらにその人が喜んでいるか、怒っているか、悲しんでいるかまで伝わってくる。
それが親しければ親しい間柄ほどなおさらだ。知音とは親友または恋人の意味をもつ。琴の名手の演奏を、その親友が聞いて音から心情を思い浮かべることができたことから。マブダチなら当たり前のようにできるはず。
忖度(そんたく)
自分と同じことを経験したと聞いたら、その気持ちも重ね合わせることができるもの。もし知らない経験であっても、想像や推察から少しでも近づこうとすることはできる。とはいえ、いきなり忖度と言われて何の意味やら見当つかず困惑するという気持ちもまたお察しする。
忖度とは他人の気持ちを推し量ること。「忖」も「度」も「はかる」という意味から。忖は「付」と似ているが違う字だ。だから「つど」でもない。これに心情と行動が伴うと「斟酌(しんしゃく)」と呼んだりするが、どちらもピンとこないこの気持ちをどうか忖度してほしい。
掣肘(せいちゅう)
世の中、邪魔者ばかりだ。人が世界平和に貢献すべく集中してブログを書いているのに、掣肘を加えてくる輩が家庭にも職場にも学校にも道端にもゴロゴロしている。中国拳法の技名みたいだが、本当にそうで物理的に肘打ちを食らわせされたほうが暴行罪として立件し社会から排除できて都合が良いのに。
掣肘。横から邪魔すること。ある人に字を書かせたが、両脇の人間が肘を引っ張られ、乱れた字をなじられたから。字にまつわる故事成語としては理解できるが、であればどう書いても乱れそうな掣という字自体をもっと簡便にできたはずだ。
閨秀(けいしゅう)
シンメトリーで美しい閨という漢字の意味は分からないが、それに秀でているらしい雰囲気は感じ取れる。しかし閨が良からぬネガティブな意味だと誉め言葉に使えない。たった一言で人生を棒に振りたくないから、日常会話で閨秀は当分使わないと思う。
文学や書道、芸術に優れた女性の意味。「閨」は婦人の寝室を指す。そういえば大奥で閨房とか閨室といった言葉が飛び交っていた。ベッドルームに秀でているわけだ。短歌で好意を伝えあった後の文化でもある。まるで言外で文学と書道以外にも秀逸なスキルを持った女性のようと想像するのは、ゲスの勘繰りというものだろうか。