人間は欲望に支配されています。 物欲とか権力欲とか安心欲、性欲や愛欲みたいな、そういうありきたりな欲求ごときに、何千年と支配され続けています。 やれやれ。
昔ニューヨークのマズローさんが整理した各欲求段階についても同じことです。 承認欲や自己実現などのいわゆる高次の欲求だって、支配する側とされる側、どちらかといえば、欲求が支配する側。
我々は欲望に支配される側なのです。 悔しいですね。
しかしながら、支配には、抗うことが出来ます。
そう、猫を可愛いと感じるのも、猫に支配されているからなのです。 そうやって真実を受け入れ、一つ一つ目覚めていくことが人間にとって大切だと思います。
まずはこの猫欲に抵抗しましょう。 どうやって?
あんなにカワイイ猫ちゃんを嫌いになるのは不可能です。 そうではなく、支配する側とされる側というお互いの立場を入れ替えればよいのです。
猫には人間になっていただきましょう。 そのかわり、人は猫のような生活が始まります。
あの自由奔放で気まぐれで、目の前の敵以外はどうでもいいような無関心っぷり。 夢のようですね。
正直、猫になりたいと常日頃から感じている人は多いのではないでしょうか。 もちろん私もその一人です。
猫が働き、人はコタツで丸くなる
朝の通勤ラッシュ。 プラットフォームは数百匹のネコで埋め尽くされ、そこら中で(朝ですが)昼寝や小競り合いが散見されます。 メスの猫は身だしなみとして毛づくろいに余念がない様子。
滑り込んできた電車の開いたドアにみんな殺到します。 目指すは勤務先である公園や神社の境内、民家の軒下、路地裏、河川敷、その辺の道端など。
勤務先こそ日頃と変わらないものの、サラリーマン、いえ、サラリーキャット達には9時5時の生活を送って頂きます。 これといって猫に恨みはありませんが、人間の生きる苦しみを味わうがよいのです。
一方そのころ猫のような堕落に耽る許可を与えられた人間共は。 ぬくぬく暖かいコタツにもぐりこんでゴロゴロ丸くなっています。 まあ、そうなりますよね。
床暖派の人間もいます。 あったかい床暖房の上でごろごろ。
まるでかつてのニート人間のよう。 あ、もしかして猫化してなくても同じかも。
野良人は公園で猫たちの人気者
野良人は近所の子猫達に人気です。 公園に野良人が現れると、遊具で遊んでいた子猫たちが一斉に駆け寄ってきて、かまってほしそうに威嚇や猫パンチを繰り出してきます。
住み家を持たない人間なので、野良人は別名ホームレスと呼ばれています。 猫と人が入れ替わっても結局なくならないものって、あるんですね。
なんだかそういうのばっかりな気がしてきました。 元々猫は人間に近い社会性を持っているということに起因するのでしょう。
スーパーのペットフードコーナーには人缶がずらり
猫は家で人間を飼っています。 ご主人の猫が帰宅すると、人がドアの所までダッシュしてゴロゴロと猫に甘えます。 人間に自尊心は全くないようです。
猫は猫缶を食べるので、人に与えるエサは人缶です。 人缶の中身はカロリーメイト風の完全栄養食が中心ですが、栄養バランス的に破綻していますが食いつきの良い唐揚げ、寿司、ラーメン、カレー、ハンバーガー、卵かけご飯など多彩に販売されています。
厄介なことに人間の舌は飽きっぽいので、人缶の種類も豊富にせざるを得ませんでした。 まったく人間は手間のかかる生き物だこと。
これって、ただの堕落した生活のような気が
猫化した人間の生活は素晴らしいです。 仕事やお金の悩みからは解き放たれました。 若干の人間関係の悩みは残ってしまうようですが。
朝起きても学校や仕事に行かなくてよし。 好きなときに好きなことして遊んでOK。 寝たきゃいつでもどこでも寝てもいい。 ご飯は勝手に出てくる。
完璧じゃないですか。 でもこれってただの自堕落で恵まれただけの人間にすぎませんね。
わざわざ猫と人間を入れ替えなくても、すでに実際にいそうです。 お金持ちの家のニートって、こういう生活に近いのかな? 自分、お金持ちじゃないのでわかりませんが。
人間のあの崇高なプライドはどこへ行ってしまったんでしょうか。 堕落というのは、このように地に堕ちる結末のことなんですね。
私なら、こんな生活まっぴらご免被ります。 こんな世界なら、あえて猫になりたい。
もう欲求の支配に抵抗するとか心底どうだっていい。
猫になって朝の通勤電車に揺られ、公園のボス猫に怯えながら縄張り内を営業に回り、家に帰ったら猫缶とマタタビで一杯やりつつ、ペットの人間(美少女)にエサとして人缶を与えたい。
ペットの美少女にエサやり・・・
あ、私、絶対、猫になります。なりたいです。 人間のプライドを売ったお金で美少女のための人缶を買い占めたいと思います。
なんなら猫にならなくても構いませんので、どうか美少女に餌付けさせてください。 宜しくお願い致します。