なんななナンセンス

益体もないナンセンスなことを、ある程度は掘り下げて考えた

今こそ確かめておきたい幸福な人生を実現する7つの自由


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自由こそ至高。

限りある人生を賭けて追い求めるべき価値があるものは決して多くありません。そんな数少ないものの中の価値ある一つこそ、自由です。以下に挙げる7つの自由を本当に手に入れられたら、間違いなく今よりは遥かに幸せへと近づけるでしょう。

特別な内容は一つもなく、どれも当たり前なことでもあります。望むと望まざるとに関わらず、多少の差はあれ誰もが行う社会生活の多くはこの7つの自由を実現することに繋がっています。

くれぐれも誤解しないでほしいのは、だからといって何をしても良いという意味ではないこと。犯罪など、もってのほか。相手の意思を尊重せずに自由を標榜してはいけません。

誰かを不自由にすることで得られる自由は、その誰かに依存しているという点で潜在的な不自由ですし、そもそも搾取です。

引きこもりの子供が親のスネを齧って謳歌している部屋の中だけの自由は、錯覚です。しかし経済的、人間的に自立し反社会的行為に手を染めず現実的な未来の展望を示して子の務めを果たしたのなら、話は別。

やるべきことをやった上で、好きで引きこもり生活をすることが自分にとって幸せだといえる人生を送っているわけですから、もう誰からも干渉される謂れのない自由であるといえるでしょう。

経済的自由

金で支配する側か、金に支配される側か。

世の中なんもかんもカネ。本当です。

このブログシステムを開発運用している株式会社はてなも営利企業だし、こんなクリック単価低そうなテーマのブログを運営している私も一応バリバリ金のために動いてることにしておきます。

お金が必要な領域において、金がある人は自由に振る舞えるし、お金のない人ができることは限られてきます。

あまりにも沢山借金してると「踏み倒されたくなかったらいうこと聞いてもらおうか」みたいな人質作戦が可能だったりもします。企業間ではよくあることです。

経済的自由は7つの自由の中でちょっと特別で、以下の6つの自由をお金で買うことができたりします。

鈍行よりも高い特急列車を使うと時間的自由が増えますし、高額だけど有効な治療方法を選べばより健康になれます。住む家や場所だってお金があれば自由に決められます。煩わしい人間関係から自由になりたいならお金の力で弁護士や興信所を駆使することで打開策が見出だせるでしょう。

漫画の世界では日々、現実には買えない物や人に値段をつけて取引されています。フィクション作品だから実際にはありえない、とタカをくくっていると、ドバイの社交界にデビューした時とかに恥をかきますよ。

この世の全ては売られている、と明言されて、はたして完璧に論破できるでしょうか。私には全然自信がありません。

Googleとかは、今はアルファベットとかいう会社の子会社になりましたが、この世に無い不老不死とか永久機関とか、お金で世界中の頭脳を買って開発させて実現しようとしてる感がありますよね、昔から。天才が1万人集まって不毛な闘いをするはずがありませんから、確たる勝算があっての計画なのでしょう。私達が生きてるうちに、早く朗報を聞きたいものです。

きっと世界を経済的に牛耳っているロックフェラーさんとかロスチャイルドさんは、もうこの世の全てを買い尽くして、買うものがなくなって、売るものを選んでるけど長く続く世界的不況のせいで何を売っても損するみたいな状況なのでしょうか。庶民感覚ではこれ以上の真実は想像つきませんが、なんとも贅沢な悩みだと思います。

あれ、でもこれじゃあどっちが支配する側か、よく分からなくなってきました。

行動をお金に制約されているという点で。

時間的自由

超お金持ち。

だけど、仕事が超忙しくてお金を使う時間が一生ない。

収入を維持するためには時間を犠牲にする必要があり、お金を使う時間がないなんて、ざまあ・・・いえ、皮肉ですね。

ある程度お金を貯蓄してからセミリタイアし、経済的自由と時間的自由を同時に手に入れる悠々自適生活ならアリだと思います。

少なくとも、こんな風にブログでナンセンスなことを自由に言い放題する時間は十分に生まれます。羨ましいと思うかどうかはさておき。

夢は何? と聞かれて、まあ例えば世界一周だとしましょう。

それは、具体的にいつ頃までに叶えたい自由なのでしょうか?

世界一周するための旅費を稼ぐために働いて、お金が溜まったら出発しようと模索するのが普通でしょうか。

単に飛行機で地球を一周するだけなら、30万円前後で世界を回れる世界一周航空券なるものが航空各社から販売されており、宿泊を最小限にすれば最短2週間くらいで達成できる算段となります。

まさかそんな味気ない旅行が生涯をかけた夢なんかじゃありませんよね。やっぱり一周するからには世界各地にきちんと滞在して十分に楽しみたい、となると半年以上の期間は欲しいしその分の宿泊費用もかかり、余裕も確保してやっぱり300万円以上は用意したい所です。

半年の休暇と300万円。

サラリーマンで6ヶ月の時間的自由を確保することが果たして可能でしょうか。帰ってきた時に自分の席が残っているなら、問題ありません。300万円は車1台分の物欲を諦めていただきましょう。

そうこう躊躇してるうちに年齢も30代、40代、50代と容赦なく経ていき、時間的自由という点で見れば実に豊かな定年を迎えます。

が、60を迎えて身体の節々が不協和音を発して不安に苛まれる日常の中、果たして未知の国を半年間も歩きまわれる余力が残されているでしょうか。

国際線をエコノミークラスで半日間乗られた方なら分かるかと思いますが、狭い座席に長時間のフライト、けっこうキツいですよね。世界一周旅行中は飛行機、電車、バスでこれが断続的に続きます。

もっと若い時に行きたかった、とならないよう、もっと掘り下げて計画しておく必要があったのかもしれませんね。

こうして考えると、時間的自由だけがあっても、思ったほど自由を実感できないかもしれません。子供の頃やモラトリアム期間、失業中なども含めて想像するとわかりやすいでしょうか。

時間的自由は他の自由を行使するために必要な大前提となる基本的自由、といった位置付けです。

行動的自由

住む地域を会社から暗に限定されている。

恋人から行ってはいけない飲み会や旅行を制限されている。

親族、隣人、町内会から生活の一挙手一投足を指定されている。

ああ不自由だ。なぜならこれらの制限が撤廃されたら少なくとも以前より間違いなく自由だからだ。

食欲や性欲など生理的な欲求に対して直ちに満足や解消が得られる状態も、本能的自由が達成されていると考えてよいでしょう。

イケメンは女に困らない、可愛いコは何をしても許される、みたいな決まり文句から分かるように、容姿端麗な人は生まれながらにして行動的自由を達成していると考えてよいでしょう。

リア中が自由に行動しているように見えるわけです。

そんな恵まれた環境を当たり前に感じるなんて信じられませんが、実在してるんだよなぁ。

身体的自由

定年まで遊ばず一心不乱に働き続け、退職と同時に経済的時間的自由を手に入れたと思ったら身体が病気と運動不足に蝕まれて動けなくなっていた、なんて笑えない。

体が健康じゃなければ自由に海外旅行しづらいし、好きなのに食べられないお菓子や料理も増えてテンション下がっちゃいます。

健康とは心身ともに病気ではない状態であり、身体の自由が保たれている状態を指します。必ずしも五体満足であることが必須ではなく、指一本ない以外まったくもって普通であり、したいことができており、天寿を全うできそうなら、それは健康です。

病気は予防できるなんて簡単そうに言いますが、運みたいなところもありますし、いつ災害や事故で手足が不自由になるかも分かりません。

身体が怪しい不具合を起こしているのにお金がないから病院へ行くのを躊躇っている状況があるとしたら、経済的な自由とも関わりますね。

肉体的苦痛なんて自由とか不自由関係なく幸福から程遠いにあります。なのに、まるで苦痛を欲してるようにしか思えない言動を繰り返す人の多いこと。

社会的自由

ほら、しがらみとか、立場とか、腐れ縁とか、そういうやつですわ。

あんまり良い意味では使われない社会的人間関係のほぼ全ては、自由を束縛する原因と思って差し支えありません。

どんな役職に就いても、出来ることと出来ないことがそれぞれ増減しますよね。平社員はロクな権限を持っていないかわりに割と色々な失敗をしても何とかしてもらえますし会社を辞めれば済みますが、社長は会社をデザインする自由がある引き換えに失敗が許されず、そう簡単には辞められない。最近の社長は老舗もベンチャーも不祥事を辞表届代わりに使って勇退してますが。

人間、偉くなると知名度や権力を使ってできるアクションが増えるとともに、立場的に発してはいけない言葉とか行動も増えます。

経済的自由が増えて、行動的自由が減ります。でもやり手の社長はそんな減るはずの自由など我関せずで、好き放題やってる人も沢山いますよね。結構なことだと思います。

われわれ一般人も人間関係と社会的自由は密接に関係しています。

嫌な人からはいつでも離れることができ、好きな人を選んで一緒に居られる。自由恋愛って当たり前なように見えて、実際は嫌な人と一緒にいなくちゃいけなかったり、好きな人を追っていく自由を持っていなかったりと、うまく事は運ばないものです。

今も意外と近くにある、政略結婚とかいう関係は結婚と名は付いていますが好きな人を選べない不自由な恋愛形態ですね。

社会的に抹殺される、と例えられますが、塀の中に入っていなくても社会的な不自由は身の回りに遍在しています。

精神的自由

他の6つの自由が全て奪われたとしても、せめて心だけは自由でいたいものですよね。

けども衣食足りて初めて知るのが礼節であり、環境が劣悪になるほど心はささくれ立ってくるものです。

信仰の自由、思想の自由も、ココロの有り様のひとつ。

自分が自由だと思えば、それが自由。けれども誰かが「そうは思うな」「その考えはダメ」とか一方的に押し付けてきたとして、それに従わなければならないとしたら、それは精神的に不自由であるといえます。

他の誰かから何も言われなくても「自分はこう思わないとダメなんだ」とか「他の気持ちは自分的にありえない」と思い込み始めたとしたら、それは自ら不自由を招いていることを疑いましょう。

気の持ち様、ココロの持ちようは自分で決められるという事実は残念ながら忘れられがちです。

そもそも他人にも誰にも、私達の心を支配する権力などありません。なのに支配する力があるぞと錯覚させる力だけはあるのです。やれやれ、始末におえませんね。

この真実を、どうかお忘れなく。あなたの精神的自由は、いつだってあなたのもの。

もしも心が狭まっていると感じたら、それは他人の何らかの言動によってであり、相手の思うツボに陥っていると自覚しましょう。術中にハマっているのです。つまり、ただの幻に心が縛られています。

悔しさを感じましょう。

表現的自由

自己表現を通じた承認欲求の充足にもつながります。

今ご覧になってるような、ある事ない事を書けるブログなんて素晴らしい表現的自由の実現になってるんですよ。

こうもナンセンスなことばかり表現し続けられる環境、最高。つくづく日本に生まれて良かったと思います。

変なことネットに書き込もうものなら、すーぐ拘束されて死刑にされる国も近くにありますからね。ありえん。

逆に不満があるとすれば、それほどの表現的自由が認められているのに、大した冒険もせず小さくまとまってしまいがちな自分の心の弾力のなさに対してでしょうか。

全然ナンセンスさを表現しきれていない。まだまだです。

自由に縛られないこと

自由であることを他人や自分に強制されていれば、それは不自由です。

これこそフリーダム・・・と呼びたいところですが、金銭や時間的に不満を感じている多くの方がその不自由から解放されて自由を勝ち取る、という意味合いが強いので、リバティーと表現したほうが近いかもしれません。

「時間的自由」とは「時間的不自由からの解放」。

タイトルの「豊かで幸せな人生を実現する7つの自由」を言い換えると、「貧乏で不幸な今を変えるために解放されたい7つの不自由」みたいな感じでしょうか。少々、極端なタイトルになってしまいましたが、まあいいかなと。

どんな自由も、無い物ねだりは見苦しい。ねだるな、勝ち取れ。

個人的には全世界の極秘サイトにアクセスする自由を勝ち取ったら、自宅に引きこもって朝から晩まで世界の真実をうっとり眺めながら老衰で天寿を全うしようと思います。