不滅の栄光に輝く、高貴と真実と美。
オリンピック賛歌の一節です。
1958年、東京で開かれた第55次IOC総会で古関裕而さんが編曲されたバージョンが、今日に至るまでオリンピックの開閉会式で演奏され続けています。
おそらく2020年の東京オリンピックでも聴くことができるでしょう。
そう、オリンピックは高貴で、美しくあってほしいものです。
真実からは程遠い、嘘や誤魔化し、インチキにまみれた審判や、自国に有利なルール改正などもってのほか。
にもかかわらず。
これだけ多くの国が参加するオリンピックだと、賄賂やロビー活動をフル活用してズルを働く国も現れてしまうようです。
もし事実だとしたら、そういう買収に屈するIOCもIOCですが。
スポーツの祭典は、人類の限界への挑戦であると同時に。
暗黒面に陥った人間同士がしでかす不正との闘いでもあります。
フェアプレーを実現するために。
審判買収の有無を追及しても、内部の既得権者によって疑惑自体を有耶無耶にされるのが目に浮かびますから。
ここはひとつ、あえて公式に競技化するという大胆な選択です。
不思議と買収の事実がフィクションというかアトラクションに見えてくるので。
現在進行形で工作を進めている、心当たりのある特定分野の該当者には都合の良い種目かもしれませんよ。
過去の当事者も含めてね。
実際に仕込まれる八百長に対する模擬裁判
オリンピック競技としての審判買収裁判。
よくある裁判ごっこゲームではありません。
まず、実際に数名の審判が買収されます。
対象となる競技や国籍など、身を売った審判の手がかりは公開されません。
そして買収審査員によって、その競技は判定が歪められ、特定の国が上位入賞します。
不自然にね。
そこで、検察役および陪審員役となる裁判参加選手の出番です。
不審な試合の映像、関係者の証言、物的証拠をかき集めましょう。
各国は別々に疑惑の試合を絞り込んで、捜査にあたりましょう。
裁判を通じて、最も真実に近づけた選手が金メダルとなります。
生で迫力のある「意義ありっ」が、世界の舞台で実現されることでしょう。
裁判結審後、ビデオ判定等で再審判、正しい順位を決定
オリンピック会場に設営された五輪特設最高裁判所。
その第一小法廷にて、まさかの審判買収裁判劇が繰り広げられます。
裁判の様子は他のオリンピック競技と同様に、各国の放送局によって全世界へ発信。
ハイビジョン画質でテレビ媒体やネットストリーミングを通じてお茶の間へ配信されるでしょう。
なお、この審判買収裁判競技はその性質上、すべてのオリンピック競技で順位が確定し、閉会式も終わった後に開始されます。
めでたく平和裏に審判買収裁判が終了した後、本競技の舞台となった別の競技については再審査が行われ、公正な結果に変更されます。
買収審判員の息のかかったインチキ試合の結果を、正式な記録とするわけにはいきませんからね。
審判買収裁判に任命される裁判官を買収する可能性
大変困ったことに、審判買収裁判にたいしてさえ。
買収工作する某国が存在するようです。
当事者間で交わされる会話を想像すると、実に滑稽に感じられることでしょう。
「私の国は買収していないと証言しろ」と言いながら袖の下で買収するわけですから。
ここまでいくと、買収根性も極まってきますね。
しかも、そういう輩に限って買収そのものが公式競技化されると弱いというパターン。
スポーツにとって大切な、フェアプレーとかプライドとか、そういう根本的な精神は反故にされっぱなしです。
スポーツ競技に対する公正さを理解できない精神には、何も期待してはいけません。
では、むしろ公に認めてしまいましょう。
それが逆に、抑止力へ繋がります。
カジノを合法化することで、グレーゾーン賭博を駆逐するように。
人間の心に潜む闇の部分さえもスポーツ競技にしてしまうという大胆な試み。
買収工作されることに慣れ親しんだIOC各位には、今さら期待してはおりませんが。
形だけでもご検討いただければ、ちょっとは見直すかもしれませんね。