なんななナンセンス

益体もないナンセンスなことを、ある程度は掘り下げて考えた

心に真の平穏が訪れる否定禁止特区に住みたい理由


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ヤですよねー、否定されるの。 正しさなんてTPOで全然変わってくるというのに、一瞬の正しさに固執する人が少なくないようです。

ちがう、とはっきりした形の否定はまだわかり易くて潔い感じがします。 話の軸をずらして答えたり、一般論を出して暗に仄めかせたり、ヤな感じですよねー。 明らかな否定の言葉を話していないから、否定した事実はない、みたいな顔をするきたない人はどんな組織にもいるものです。

もはや正しさは、その人の中だけに存在する幻想。 今の時代、証明されたはずの事実や真実さえ、あっさり翌年に覆されることもザラ。 その幻想をぶち壊したい、略してそげぶしたいと思います。

かといって、さすがに犯罪を肯定するのはいけない。 あくまで理屈とか好みとか物の見方とか、穏健な範囲で否定を否定しましょう。

きっと、天国に否定という概念はありません。 あったらそこは地獄に変わってしまうから。

だから、アンチ否定の人だけが入ることを許される否定禁止特区は、間違いなく地上の楽園です。

「ちがうと思う」はちがうと思う

ツッコミは必ず「なんでやねんっ」を用いましょう。 これは否定系ではなく疑問系になってますからセーフです。

例外として、「ちゃうやんけっ」と否定した上で、さらに面白いボケをかます場合はセーフとします。 面白れぇってのは大事なことだぜ。

裁判は困りましたね。 「それは違うよっ」と論破する王道技が封じられてしまいました。

どうしましょう。 闇から闇へと葬るしかないのでしょうか。

そんな未来は、違うと思う。

「ていうかー」「というより」も禁止

これ、自覚の無い人がけっこうおられるようです。 というかー、と返されてカチッと不愉快に感じる人は、はたして私だけでしょうか。

「という(のは間違っていて、それ)よりもー」という意味で使っているつもりはないのかもしれません。 しかも、そうして続けられた内容を冷静に比較して聞くと全然「よりも」ではなかったりします。

最近、静かなブームになってる枕詞に「変な話、」をつける話し出しも、よく聞くと別に変な話でもなんでもないことが多いんですよね。

否定禁止特区内の高校に通うJKのファンのみんな、ていうか禁止しちゃってごめんね。 ひどいよね。許せないよね。

てゅうかさー、カラオケ行かない?

「なるほどー」「そうなんだー」など無難な相槌が人気

否定禁止特区ではあからさまな否定は禁止ですが、だからといって肯定したくもない時に日常使いやすい便利なフレーズが、ここでは方言のように浸透しています。

「はい」、「ええ」、「うん」、「そうですね」、「ほんとにー?」、「なるほど」、「そうそう」、「たしかに」、「わかります」、「そう思う」、「ですよね」。

ごく一部です。

少々品性に欠けますが、タメ口の相槌の数々もまた使う機会があるでしょう。

「マジで?」、「ヤバイ」、「マジヤバイ」、「マジかよ」、「ヤバくね?」、「ヤバすぎ」、「マジ本気マジ」。

ところで、誰もが否定禁止特区を否定することができます。 もともとナンセンスな発想から生まれたものだし、常識的に考えて不可能なのも初めからわかっています。

ただ、対象が何であっても、それを否定しようとする人に意味もなく歯向かってポジショントークを繰り返す輩には気をつけましょう。 中身が無いことを誤魔化し続ける某国古参野党の誰かさんのようなね。

否定禁止特区を否定することで、何か得られるものがあるのでしょうか。 誰かが幸せになるのでしょうか。 もし誰にも幸福をもたらさず、誰かの財産を減らすこともないなら、否定をする意味もなくなってよいはずです。

肯定しなければいけない、という義務が課せられる特区ではありません。 肯定も否定もしない、できない、或いはしたくない事はとても沢山あります。

与えられた状況に対して、あーでもないこーでもないと刹那的な結論を自分に有利に運ぼうと皆さんが画策しているようです。 TPOで結論が変わるなら、全てのことはイエスともノーとも言えなくなってしまうはず。

この真実を忘れさえしなければ、どんな小さなことでも簡単に否定することもなくなり、拒絶を感じて寂しくなる人はいなくなるはずなのですが。 現実はそう素直に動かないものです。

だからこそ、否定禁止特区という荒唐無稽な制度が活きてくるのかもしれませんね。